葬儀社のあり方

今までの葬儀のあり方が、変わっている。前から言われていることのようだが、現実に数字となって経営が危うい葬儀社が増えている。
うそ、偽り、不透明、癒着、カモり、まあ消費者の不信感は絶えない。お寺も同じだ。今から面白くなる。少しでも浄化作用が加速するよう当社も邁進しないといけない。最近よく聞くのは、お寺の住職。地域の人々。業者の方々。などなどから、あの葬儀社から葬儀件数を取られていると、今まで大将面していた葬儀社が言っているようだ。大きな勘違いである。取られているわけではない。消費者が嫌気がして葬儀社を選びなおしているだけである。自分のお客、自分の物と言わんばかりの、いいようだ。勘違いもいい加減気付け。といつも思う。
倒産する会社の言い分はいつも他力本願である、時代のせい?規制のせい?法律のせい?だました人のせい?裏切られた人のせい?いつも理由を後付して、自分を正当化している。まあ駄目なやつの典型である。葬儀社はほとんどがこのたぐいだ。
今まで散々、人をかもり倒して来たにもかかわらず、自分たちが劣勢に立たされるといいわけがましく、、女々しいことを言う。
嫌なら、やめれば済むことで、葬儀屋がなくなったからと言ってどうでもいいことである。世の中何も変わらない。
いままでお客に尽くし、地域に貢献してきた。などの勘違いの思い込みがこのような、支離滅裂の営業をやる、根源だ。
どこの葬儀社も、明朗会計という。互助会葬儀社は典型である。そして不透明なセールスをして、サインをもらい最後請求書をだし、お客は仕方ないと支払いに応じる。悪徳リホーム会社と何も変わらない。
幼稚である。一言に尽きる。