專能寺、浄土真宗本願寺派

以前、專能寺について批判する内容を書き込んだ。たまにしか来ない隣町の坊主だか、世代交代で、住職が亡くなり、息子が住職となって本日の葬儀に勤めに入っている。亡くなってすぐに枕経に来た。そこで当社社員に藤本社長ですか?とたずね、ちょっとネットにも、。言ってきたようだ。夜中と枕経で親族の方々も明日の勤めを希望していたが、何の伝達もなく、きてから、お経、葬儀説明。小一時間しゃべり、お布施のことは後で電話します。と帰っていったそうだ。当社みやび苑に来るお客で專能寺のことを悪く言う人はいても、よく言う人はいない。大柄な坊主ではないが、自分や寺の決まりしか言わない寺で有名だ。要は高額なお布施しか言わないと言うことだ。藤本社長ですか?と言ってきたので顔は出しておかなければと思い、通夜の勤めの後、出ていって、住職、藤本です。ちょっと話しましょうか?というと、いや、みんな協力しやってですね。という、だからこちらに。というと、結構ですと言う。ビビってるのか、お高く留まってるのか知らないが、話はしないようである。だからネットの書き込みになんかあるんだろ?というと、いやもういいです。という。
毎度言うことは、協力し合ってですね?という。だから、寺に連絡したさい、話しようとしたら、オタクの坊守。葬儀社とは話しないと言ったぞ、。おかしいだろ?というとそれは、母のことですからという。そして、そそくさと帰っていった。その後電話で、お布施の話を喪家にしたようで通夜3万。初七日、お寺参り3万。葬儀45万。と言ってきたようで喪家が、そんな払えない。というと、お気持ちなので25万ぐらいでもいいですよ。と言ったそうだ。
何とも姑息はやり口である。まあ、くそ坊主というか、マザコンへ垂れぼうずである。あんな寺がはびこる世の中、世も末である。いつも思うことだが。こんなことを書き込む自分が嫌になる。だが、実名出して書き込み、意見を言わないとおとなしい、誠実な一般のひとが被害にあうだけである。だからいまからも、本位でははいが、書き込んでいく。
もちろん、クレームは大歓迎。すぐに話し合いの場をお持ち、お互いに意見をぶつけ、いい業界にしていくのが、いちばんいいことである。

藤本樹道