お寺について

2020年2月6日|カテゴリー「お寺について
大野城メモリードの互助会会員から、依頼があり今日葬儀をやっている。80代のおじいさんで、妻が亡くなり葬儀。メモリードの積立は45万1口と30万1口。2口積立。事前相談で2口の積立を使って妻の葬儀を行いたい。」と伝えた。するとそれはできない、1り1口のみの使用しかできないと。なぜ、自分の積立をじぶんが決めれないのか?不満に思ったと言う。それで、お寺の紹介を聞いてみたところ、なんと、100万と言ってきたそうだ。とぼけた担当だ。こういうやつは引きずり回したくなる。だから、毎度で嫌になるがブログに書き込んでいる。うちのみやび苑に来たきっかけは、新聞折り込みチラシ。チラシには葬儀屋のことをぼろくそ書いている。そこに共感したらしい。大野城のメモリードは6年ほど前似たようなことで、お客から民事訴訟で訴えられ、300万の和解金を払っている。このことは西日本新聞に載った。要は詐欺。消費者からすれば全くそうである。よくベルコ筆頭に積立解約代行で、警固のメモリードに行ったことがある。とぼけた対応ばかりを、記憶している。
やはり、月日経ってもかわらない。大手の葬儀社はそんなもんだな。そんな感じである。カモれると判断すれば坊主紹介で100万を言う。ほんと縛り上げたい思いである。
メモリードの奴らが見れば今回の担当した人間がわかるはず、是非連絡ほしいもんだ。みやびは日本最少の葬儀社。メモリードは日本最大級の葬儀社。文句言ってきて当然だろう。まあ、へ垂れの集団である。

藤本樹道
2020年2月4日|カテゴリー「お寺について
先週、宇美町の住職からラインが入り、当日急きょ、新年会となった。先代の住職が亡くなり、もうすぐ1周忌、住職のことは若。と呼んでいる。一番の話はお寺の今後。宗教界全部の問題だ。息子を宗教大学に進学させ、今は本山に修行に行かせているとのことだった。宗教者にすべく1つ1つの段取りをこなさせてはいるが、果たしてこれでいいのか?このままでは絶対に生きていくお寺を存続させていくのは無理だ。これが結論である。
その見解はとても賛同する。この葬儀業界はとにかく、異常だ。特に葬儀屋、その葬儀屋の言うがままになる、坊さん。
リベートの関係だけで成り立ち、供養という名目で、庶民、大衆から、ぼったくり、供養も何もあったものではない。
ひどい人間はどの世界にもいるが、この業界は、坊主も含め、9割糞野郎、くそ坊主である。
商売なら商売。宗教なら宗教。はっきりと運営しない限り。まともにはなれない。
故人の供養を求めお願いしてくる庶民をいいことに、善人ずらしてカモリ、ぼったくる。
各宗派の本山はどう考えているのか?平和ボケ?他人事?
きちんと正道の道筋を立てない限り、未来はない。

藤本樹道
2020年1月16日|カテゴリー「お寺について
みやびデータによると、須恵町、明永寺、。須恵町、專能寺。宇美町、円浄寺。これが悪寺トップ3。
このたび、2つの寺がダブり、勤めに入る。2つとも、一度、文句、クレームを、手前勝手な言い分だけで言ってきたので、出張って、クレームをつけている。それ以降、何も言わなくなり、問題はない。まあ、裏ではみやび苑はよろしくない葬儀社」と、言っていることは聞いているが、まあそれはお互い様でなんら問題はない。しいて言えば、檀家になっている方々は大変ということだけである。まあ、お寺、自分たちの過剰評価極まりなく、どうしようもない、宗教者の方々である。
大手葬儀社、互助会葬儀社。と同じように今から、いばらの道で、将来は今のスタンス価値観を変えない限り淘汰されるのは時間の問題である。

藤本樹道
2019年5月10日|カテゴリー「お寺について
最近、YAHOOニュースでも納骨お寺の話が出ている。4日前、とても仲が良かったお寺の住職がなくなった。地場大手の葬儀社で葬儀。1000人~2000人対応で葬儀、実際ふたを開けてみると、250人程度の葬式。
料金700万。
葬儀の9割の参列は義理。これが葬式である。だから家族葬が増えている。で高額なお寺の檀家制度も崩壊している。
どんどん進んでいく、これは庶民も坊さんも10人が10人同じ答えである。人の死に対する宗教行為があまりにもビジネスになりすぎてしまった。今の価値観の違いがお寺と一般社会の歪となっている。
この溝をどう埋めていくか?これが生き残るお寺となるだろう。溝を埋めるどころか、今の相場の檀家の金額は当然。と主張するお寺は消えていく、淘汰される。普通の当たり前である。
お寺の住職は選ばれた特別な人ではない。そのことを自覚し、日々邁進して行く宗教者がかろうじて生き残ることだろう。

藤本樹道
2019年3月20日|カテゴリー「お寺について
昨日、まつだ葬儀社で代々葬儀をやっていた一族の1家族が会員になりに来た。西念寺の檀家で頻繁なお布施をそれも何十万単位でつどってくると言う不満だった。もちろん西念寺はまつだ葬儀とべったりの寺である。納骨堂のやりかえ、本堂のやり替えなどいろいろかこつけて当たり前のようにお布施を何十万と要求してくる。寺の総会は怒鳴りあいで収集つかず、住職は片隅でダンマリだったようであきれて檀家をやめる決意をしたそうだ。もちろんやめることを表だっていえば高額な離壇料を請求される。と悩んでいた。まあ、古い寺の運営のやり方で、先はまずないだろう。以前、宇美町の円浄寺でもにたようなはなしがあった。檀家の反対に合い、やり替えはなくなったようだ。
今や、寺も供養、信仰より、利害で動く。まちがいない。世の中9割くそ坊主。これが現実である。
今のようにネットに書き込んでいると苦情を言う坊主もいるが、大抵目の前に出ると、おとなしくなり何もなかったかのように勤めだけで帰っていく。要はほとんど、内弁慶で姑息な坊主がほとんどだ。
供養のやり方も時代とともに変わる。今のような高額要求しなくてはいけない運営は衰退していく。
宗教法人という特権を持っているのだから、大衆や檀家を下に見ず、支えてもらっている。というスタンスにならないと運営はできなくなっていくだろう。坊主の世襲も10年は一般社会で働くことが大事なことではないだろうか?
若くして住職になると、勘違いをする。ある寺の新人、若が法話、説教のとき話を聞いてくれない。どうしたら聞いてくれるのか?ということを、おやじである、住職に相談したらしい、すると住職は、誰か一人聞いている人がいるから、その人を見て話をするといい。と言って諭した。
私からすると、大きな間違いである。人生何の経験もない、小僧がどんな話をしようと聞くわけがない。当たり前のことがわかっていないのが、お坊さんである。
まあ、困ったものである。

藤本樹道
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